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seven hat i …hand made life!

帽子を中心に手作り雑貨を作るsevenhatiのかえる堂から始まるモノ作り。 生活、想い、手作りの品達に自分らしいスタイルを。

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i-ni-si-e roman.

いにしえ


先月から再開したご近所の図書館での本の貸し出し、
貸し出し期間の2週間の内に10冊を読む、という試み。

半分は写真中心のムック本、お料理のレシピなどが多いです。
仕事の昼休憩などで拾い読みして、また興味のあるものは
ゆっくり借り直そうかなと。

歩いて5分の図書館なので、書庫代わりというとおこがましいですが、
読みたいときにはすぐそこに図書館がありますので、
所蔵本を把握していると、それはそれは大変な強みになる気がします。

あわせて今週は郷土の歴史などの本を借りました。


摂津市に住んではや5年、
そろそろ「摂津に来た人」ではなく
「摂津の人」になりつつあるこの頃。

日常で目にするご近所の史跡碑などにも関心があり、
折々立ち止まっては読んでいました。

私の住む鳥飼地区は、隣接する茨木市の府卸売市場関係の
運送会社、卸業、倉庫業、建材業などの会社が多く、
倉庫街、資材街であり、大きな運送トラックが行き交い、
昼間は勤務する市外の人々の往来の多い街ですが、
元々の町自体は大変古く、庄家的な古い家並みも数多く、
特に淀川に沿った地区は住宅路地も大変細かく、
まさに旧家街、といった雰囲気。

近代に入り橋がかかるまでは枚方のくらわんか、豊里の平田の渡しのように、
鳥飼の渡しがあり守口とを行き交わす人々で栄えていたようです。

この三冊の本で色々学んでみますと、

800年代、宇多天皇の親王時代、
「鳥養離宮」として栄えたそうです。
「大和物語」ではその頃の鳥養の河のほとりの歌宴の優雅な様子が
描かれているとのこと。

また、天皇家御用達の牧場もあったそうで、
牛が飼われていたそうです。
「鳥飼牧」と呼ばれていたそう。

鳥飼で有名な「藤森神社」もこの頃からあったようで、
大変歴史は古いようで、
何度もあった水害のせいでか鳥飼上から今の場所まで、
流れて移動したと言われています。
江戸時代には今の場所にあったことが書物に記されているそうです。
藤森神社のお練は有名らしく、夜に各村からそれぞれの大きな灯篭を
村の役衆の皆さんが闇夜に行列で歩いて納めに来る様子は、
中々勇壮です。

きっとかなり昔からずーっと受け継がれているこの土地の風習なのですね。
その年の無事安全豊作を祈願して続けられてきた神事。

読み物を読むとやはり水害が多かった淀川、
このエリアも何度となく水害で被災したのでしょうね。
故に土地の人が信心深いのでしょう。うなずける事です。


丁度今年の大河ドラマ「平清盛」が平安末期を舞台にしているので、
久しぶりに歴史の勉強にもなるな、と借りた本とネットの情報などを
織り交ぜて時代背景や天皇の在位などを追ったりしてみました。

そう考えると本当に由緒有る土地柄ですね。

地味だ地味だ、と思っていましたが、
勉強した御蔭様で随分誇らしくもなりました。

吹田市に隣接する千里丘付近にも蜂前寺という
戦国時代ゆかりのお寺があったり、
味舌地区にも行基のエピソードがあったり、
私がいま行ってる派遣先の近くの仁和寺大橋のたもと付近には、
秀吉の頃の細川家の史跡も大きな石が立てられています。

何気なく自転車で走る無機質な物流街ですが、
実はその下には様々ないにしえの歴史が一杯詰まっているんだな、と
思うと、少し趣きがありますよね。

大河ドラマも最近の作品とまた違い、
かなりいにしえ感がたっぷりで人物相関も難しいし、
怨念だったり、陰陽師だったり、参考資料が古いので
今の時代では考えられないくらい浮世離れしていますが、
それがまかり通っていた時代があるんだなあと思うと興味深いですね。

人の手で、途方もないくらい長い時間をかけて
沢山の天災、戦、を乗り越えて、今この時代に受け継がれている。
そんな土地のパワーを感じて生活してゆきたいものです。




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